世界的チェロ奏者の
ヨーヨー・マさん。
なんとタクシーの中にチェロを忘れてしまい
ニューヨークタイムズに掲載されたことがあるんです!
そんなヨーヨー・マさんについて
気になることをまとめてみました。
For #EarthDay, @annaclyne‘s “In the Gale” recorded in @AcadiaNPS for the @BirdsongProject.
🌎 🐦 https://t.co/EvD1LoedY5 pic.twitter.com/AMxF96HNb1— Yo-Yo Ma (@YoYo_Ma) April 22, 2023
ヨーヨーマがタクシーにチェロを忘れる!?
1999年10月16日土曜日
それはカーネギーホールでの公演を終えた
翌日のことでした。
この日、ヨーヨー・マは
チェロと共にタクシーで移動していました。
午後1時頃
ニューヨークのセントラルパーク近くでタクシーを拾い
55番街のペニンシュラホテルに向かいました。
その間およそ18分。
到着すると
ヨーヨー・マ氏はすぐにタクシーを降りて
ホテルに入ります。
しかし、下車したタクシーが進路を変えたとき
はっと気づきます。
持っていたはずのチェロが無い。
チェロをタクシーのトランクから降ろすのを
忘れていたのです!
そんなことある!?
次元が違うかもしれませんが、アマチュア演奏家の間でも時折聞く話なんですよ。
どんなに大事にしていても、忘れることってあるんですよね…
ヨーヨー・マのチェロは
とても貴重な楽器なのですが
それについては後述します。
ヨーヨー・マは
慌ててホテルのスタッフに知らせ
タクシーの番号が記載された領収書を手がかりに
チェロの捜索を始めます。
ホテルの警備員は直ちに
ミッドタウン北警察署に通報。
連絡は市長のところにも行き、
市のタクシー組合に協力を要請。
ついにチェロを乗せたタクシーを特定することに成功します。
ヨーヨー・マが乗っていたタクシーの運転手が
午後4時に勤務を終える予定だったため、
その時刻合わせて警察が集まり
運転手に状況を説明。
タクシーのトランクを開けたところ
無事にチェロを発見することができたそうです。
チェロは3時間ほど
ニューヨークを走り回っていたことになるんだね。
ヨーヨー・マはこのように記者団に語られたそうです。
I made a stupid mistake.I just left without it.
Somehow magic happened, and I have my cello. The instrument is my voice. So I need it. [If it hadn’t been recovered,]
英語ちょっと分からない…
かんたんに翻訳すると…
「愚かな間違いをしてしまいました。
チェロを持たずにタクシーを離れてしまいました。
どういうわけか魔法が起きて、私は自分のチェロを手にすることができました。
楽器は私の声です。
だから私には必要不可欠なのです。
(もし戻って来なかったら、今頃泣いていたでしょう)」
といったところでしょうか。
無事にチェロが戻ってきて
本当に良かったです…!
ヨーヨーマのチェロは?値段はいくら?
ヨーヨー・マのチェロは
ストラディヴァリウス「ダビドフ」
ストラディヴァリウスのチェロは
世界にわずか60台しかないと言われており
「ダビドフ」の価値は350万ドル以上と言われています。
2023年5月の時点では
日本円に換算すると4.7億円です…!
ヨーヨー・マの前に「ダビドフ」を使っていたのは
20世紀最高の女性チェリストと称賛される
ジャクリーヌ・デュ・プレ。
デュ・プレの前に使用していたのは
チャイコフスキーによって「チェロ奏者の皇帝」と評された
カール・ダビドフです。
カール・ダビドフの名前から
このチェロは「ダビドフ」と呼ばれているんだね。
ダビドフは素晴らしいチェリストとめぐり逢い
今もその音を鳴らし続けているんですね。
ヨーヨーマの経歴
ところで「ヨーヨー・マ」という名前は聞いたことはあるけれど
詳しくは知らない…という方も
もしかしたらいらっしゃるのではないでしょうか。
ヨーヨー・マ(馬 友友)は
1955年10月7日、フランスのパリ生まれ。
お父さんは中国生まれで、指揮者・作曲家。
お母さんは香港生まれで声楽家です。
ご両親はパリに渡ったのち
ヨーヨー・マが7歳のときにアメリカに移住しました。
そのような経緯があるので
ヨーヨー・マさんは「フランス出身のチェリスト」で
「中国系アメリカ人」なのです。
チェロを始めたのは4歳のときですが
その頃にはすでにヴァイオリンやヴィオラを習っていたそう。
7歳でジョン・F・ケネディの前で演奏し
8歳でレナード・バーンスタインのコンサートに出演し
アメリカのテレビで放映されました。
天才少年…!
ジュリアード音楽院時代には
先生に「君に教えることはもう何もない」と言われ
ハーバード大学に入学したという逸話も。
ハーバード大学では
人類学の学位を取得されています。
そんなヨーヨー・マの転機は
チェロの神様と呼ばれる
パブロ・カザルスとの出会いでした。
カザルスは
「私はまずは一人の人間であり、その次に音楽家で、第3にチェリストである」
という信念を持っていました。
ヨーヨー・マはカザルスのこの言葉を
とても美しく、いつまでも忘れることができないと言っています。
カザルスのこの信念を
とても尊敬しておられるのだそうです。
カザルスのこの言葉は
写真集「カザルス」にも掲載されています。
私はまず第一に人間であって、芸術家であることは第二だ。
人間として、私の責務は同胞の安寧にある。
今後も私は音楽という、神が私に与え給うた手段を通じて、
その責務を果たそうと努めるだろう──なぜなら、
それは言葉や政治や国境を超越したものなのだから。
世界平和への私の貢献など小さなものかもしれないが、
少なくとも、死ぬまでには私が神聖なものと見做している理想のために、
捧げ得るすべてを捧げるつもりだ。
チェロを通じて世界平和に貢献するカザルスの姿勢に
ヨーヨー・マさんも胸を打たれたのですね。
これからもヨーヨー・マさんの活躍が楽しみですね。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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